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保有戦車のほとんどを失ったソ連

保有戦車のほとんどを失ったソ連は、アメリカ・イギリスから兵器供与を受ける一方、戦車生産をT-34とKV-1中心に絞込み、シベリアやウラル山脈以東に疎開させた工場で大量生産を始めた。また、ドイツの突撃砲を真似て、T-34とKV-1の車体を用いた自走砲を作成し運用した(SU-122、SU-152、SU-85)。
戦車の補充を得たソ連軍は、三個戦車旅団と一個自動車化狙撃兵旅団で構成される戦車軍団を編成した。この戦車軍団は、名称こそ師団より上位の軍団であるが、規模は他国の師団よりやや小さいものだった。

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1942年5月、半数を供与戦車で構成した約10個戦車旅団を動員して、南部戦線で反攻に出た(Cf.第2次ハリコフ攻防戦)が、まだまだ兵員も指揮官もドイツに比べ未熟であり、ドイツ軍に殲滅され、貴重な戦車戦力を失い、スターリングラード攻防戦に至るドイツの南方作戦が始まると、後退戦術をとるしかなかった。
兵員・指揮官の熟練度が上がり始めると、圧倒的な生産力でドイツ軍を撃破し始めた。スターリングラード包囲戦とクルスクの戦いに勝利し、以後は一方的にドイツ軍を押し捲った。
大型トラックが、ソ連でも数万両作成され、アメリカからも数万両供与されたが、ほとんどは膨大な補給物資を必要とする戦車軍団・機械化軍団の補給用に回され、兵員輸送車として使う余裕は無かった。随伴歩兵は戦車・自走砲の手すりに掴って移動していた。これらはタンクデサントと呼ばれた。
牽引砲・自走砲は共に砲兵部隊で運用された。多連装ロケット砲をトラックに載せ、遠距離から大量の爆薬をばら撒く「カチューシャ」ロケット砲車が極めて有効活用された。トラックの荷台に簡易なロケット発射台を乗せただけの物であるが、一度に発射出来る数の多さがその長所であった。命中率こそ低いものの、同時点に制圧できる面積は砲に比べて遥かに広く、ドイツ軍陣地破壊に極めて有効で、ドイツ軍に恐れられた。
ドイツの戦車の大型化にあわせ、T-34は砲塔と主砲を大型化したT-34-85に代わり(1990年代まで発展途上国では現役であった)、KV戦車の後継としてIS-2スターリン重戦車が投入された。自走砲も新車台の登場で大型化が進んだ(ISU系自走砲)。
最終盤、後のロシア戦車の特徴となる、低姿勢の半円形の砲塔を持つIS-3重戦車が配備されたがヨーロッパにおける実戦には間に合わなかったとされる。IS-3 は戦後1970年代まで東側諸国や発展途上国で使用された。

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2009年04月27日 10:37に投稿されたエントリーのページです。

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